創業祭、誕生祭

なぜか、私の周りには10月が創業であるというお店が多いのです。そういう私の母校も創立記念は10月だったような気がします。一枚のダイレクトメールがきました。行きつけのお店で、バスターミナルをもつその大きなお店は誕生祭をすると言います。そういえば、先日も行ったばかりですが、この頃消費税が上がったためか、すっかり人も少なくなっていました。100円ショップがあるので、時折は出かけるのです。

誕生祭言うことで、何十年、もうそんなになるのかと自分の年齢を考えてみるのです。色々な企画があって、プレミアムのチケットが売りに出されるようです。たくさん買うこともなくなったので、チケットの購入予定はないのですが、イベントと聞くと、何だかワクワクしてしまいます。

実家の近隣のスーパーは創業祭です。このお店がいつ開店したか、全く覚えていません。しかし、物が安く出てくるのは大歓迎です。日ごろあまり購入することのない物が安くなっていると、新たな料理のトライへと繋がります。

オーロラを見たい

オーロラを見たいものです。
カナダの北部やアラスカ、北欧などに行けば、見られるようですが、実際にオーロラを見るためのツアーに参加しても、毎日確実にオーロラが発生しているわけではないから、当たり外れがあるようです。せっかく高いお金を出して、海外に出向いたのに、一回もオーロラを見られずに帰国する、というケースもあるようです。
以前、テレビ番組で、宇宙から地球を撮影した映像にオーロラが映っていました。幻想的な光景でした。

地球上でオーロラを見たいという気持ちと、宇宙からもオーロラを見たいという気持ちがあって、お金があれば、民間の宇宙旅行会社を利用して、宇宙旅行をしながら、オーロラを見たいものです。そんな光景を眺めることができたら、もう他に何も要らないと思えるような気もします。
しかし、民間の宇宙旅行だと、何億、いや何十億と必要ですね。しかし、大気圏を突破するときのリスクがゼロではないから、怖いですね。命をかけてまでは、したくないかな。

『影武者』という映画を鑑賞。

影武者を初めてリアルタイムで観た黒澤作品。ということは、初めて劇場で観た黒澤作品でもあり、何より黒澤作品そのものが初めてだった。

名前だけは知っていて、どの雑誌を読んでも褒めちぎっている内容のものばかりで、どうしたら観られるのだろうと思っていたものだが、当時はDVDはおろか家庭用ビデオさえ無く、もちろん名画座みたいのも無かったし、テレビでやってた記憶も無い。いいだけ煽られて、期待だけが大きく妄想のように膨らんでいた時期だった。一方で、斜に構えた「黒澤ってそんなに凄いんかい!?」といった態度でもあったのだが。

勝新太郎が、モニターを持ち込んでどうのこうのというトラブルで降板したのは有名だが、それまで音楽でつき合ってきた佐藤勝も、この作品で黒澤と衝突して辞めてしまったことはあまり知られていない。『隠し砦の三悪人』のマーチや『用心棒』のテーマ等、いい音楽を作ってきたのにね。

だいたい黒澤はクラシック音楽に詳しくて、作曲者に対してもあの曲の雰囲気で、という注文の仕方をするそうでね。それにとうとう怒っちゃったんだろうね。

で、初の黒澤体験は、「こんなもん?」という感じだった。

期待してた度合いが強かったせいか、思いっきり肩透かしを食らった気分。

だいたい長過ぎるよ。だから、通して観るのはそれ以来。

勝新は「俺が出ていたら、もっと面白い映画になっていたはずだ」と言ったそうだが、果たしてそうだったか?

淀長さんが、赤を絶賛していたのを思い出す。武田の赤、血の赤、夕焼けの赤。ときどき見せる空の色は毒々しい。『どですかでん』のロクちゃんの家の窓のようだ。

これを観ながら、今更ながらに、もしかして黒澤は『七人の侍』と同じようなものを作りたかったのかなあと思ってしまう。

テーマや色彩は違うが、構図やスケールの大きさはそうだ。

まずテーマ曲が、同じ旋律の繰返しを多用。

そして風林火山の意味を説明して、その後の合戦シーンは説明通りに描いていくのは、村々を地図でわかりやすいように説明し、野武士との戦いを地理的にもわかりやすい描き方にした手法を思い起こさせる。

当然のことながら、クライマックスの戦闘シーンはラストに持ってきて、主人公を殺してしまうのも同じ。

『七人の侍』ではないが、影武者が雨の中追い出されるシーンは、『羅生門』のようだった。

『乱暴と待機』という映画を見て

『乱暴と待機』という映画を見て思ったのは」不思議な映画に当たってしまったという感想。その前に、気づいたことが少々。

英則のベッド(二段ベッドの上)脇には、賞状や免状らしきものが額縁に飾られて並んであったが、あれは何だったんだろう?

また英則はいつもツナギを着てネコ車を押しながら家を出て行くが、生計を何で立てているんだろう?

英則のことをあずさは昔から知っていたようだったが、その繋がりについての説明は一切無かった。

よくはわからないが、浅野忠信の棒読みのようなセリフ回しが、独特なリズムを生んでいることは確かで、それが最後までテンポ良く見せるエッセンスとなっている。

彼の役どころは、ただただ奈々瀬に復讐することを考えて一緒に暮らしているが、なぜ復讐しようかという原因についてはすっかり忘れている男。

予告篇では、(英則と奈々瀬の)二人を見たあずさがゲロを吐く場面にモザイクがかかっていて、それも面白い表現だなと思っていたら、本編ではしっかり映していた。

美波という女優は、今回初めて見たが、『バトル・ロワイアル』や『マナに抱かれて』『デトロイト・メタル・シティ』にも出ていたらしい。チョイ役だったんだろうけど。

ここでの風貌は、おさげ髪にメガネという、仲間由紀恵のヤンクミ先生のような恰好。

で、ここではエロパートを担当しているが、彼女は以前舞台ではヌードにもなっており、その際相手役の男優とは自主練も行ったらしい。ベッドシーンの自主練って何だよ!

山田孝之は、妻がいるのに奈々瀬にまでちょっかいを出すという、私生活そのままではないかという役。たまには、こういうへなちょこな役も新鮮でいい。

浅野忠信の一種独特な雰囲気で、物語が構成されているが、こういったキャラの確立は監督との話し合いで決めたんだろうか。

彼が、覗きをしていた屋根裏から顔を出して、奈々瀬に対して冷静に「破水してるぞ」「救急車を呼べ」と言う場面には笑ってしまった。

最後は復讐の理由を思い出して、奈々瀬のところに戻り、それを説明するのにわざわざ裸になったことも可笑しいといえば可笑しかった。

せっかくカセットテープの会社を興したのに、新しい復讐を思い付いて、またあばら屋に戻るラスト。

なんか、よくわからないうちに映画は終わってしまったが、それでも不思議な余韻が残った。

DVDじゃなくてブルーレイを買ってきた主人

録画用のDVDがなくなったので主人に買い物を頼みました。

自ら行ってくれるといったのでついでにお願いしたのです。

すると帰ってきてブルーレイディスクを抱えて満面の笑顔の主人が…。

これは家の録画機器で使うことができないと伝えても頑なに聞きません。

挙句の果てにはブルーレイディスクを取り出して入れる始末。

「動かない。不良品ではないか」って怒っていましたが対応していないのだから当たり前です。

すっかりお怒りモードですが梱包をあけてしまっては交換もできないしで泣きたいのはこちらです。

こんなことなら自分で行けばよかったと後悔したのでした。

主人は家計のことには関知していないのですが無駄にお金を捨てることになると主婦は困ります。

結局反省もせずただ怒っているだけの主人にあきれ果ててしまってほっといています。

このブルーレイディスクは知り合いに無料であげる他使い道はありません。

捨てるよりはましなので誰かに喜んで使ってもらえるように相手を探します。

小さな村の小さなダンサー

『小さな村の小さなダンサーはオーストラリアでベストセラーとなった、リー・ツンシンによる自伝の映画化だそうである。

自伝というのは難しいもので、どうしても自分を恰好良く見せようとする意識が働くから、話半分にして読まないと騙されてしまう。というか、自伝で面白いと思えるようなものは少ないように思う。

だけど、それを映画化するということは、少なくても脚色段階で、ある程度客観視されるだろうから、一つの人生の物語としては面白くもなるはずである。

主人公の生まれたのは1961年というから、文革の真っ只中。

当時、中国の情報は断片的にしか入ってこなかったから、文革というのは(その言葉の印象からしても)、素晴らしい改革運動だという認識しかなかったが、後年それは毛沢東による粛清活動だったということがわかる。

現代は「Mao’s last Dancers」。つまり、“毛沢東の最後の踊り子”。

文革の最中に生まれ育った男の子が、如何にダンサーとしての道を進む上で困難に遭遇したかという物語。

今となっては、どんなに酷い時代だったかということがわかるが、中国は公式に自己批判はしてないんじゃないか?天安門事件でさえ、未だに正当化してるくらいだから。

最近の尖閣問題にしても、ノーベル賞問題にしても、北朝鮮とは世襲であるかどうかの違いだけで、一党独裁を堅持しようという姿勢は変わりが無い。

そういう話ではない。しかし、思うように生きることのできないというジレンマは、手に取るようにわかる。リズ(アマンダ・シュル)の「結婚したのは私の為、それともアメリカに残りたいから?」の言葉のように、余計な心配や迷惑が本人の意図とは別に起こる。

苦難を乗り越えて、一流ダンサーとして世界的に認められても、有名になったのなら帰国させてやるという態度は、今のコスい外交戦術と全く同じ。しかし北朝鮮とは違って、国力があるから始末に負えない。

個人対国家の争いを描くとき、マスコミの力を利用しているのにも注目される。通常であれば、マスコミは大概悪者に描かれるが、ここでは味方につけてリーの拉致を阻止している。マスコミも薬と同じように毒にもなれば薬にもなるように、この流れは付和雷同的なマスコミを揶揄してるようにも取れるが。

ただ、中国国旗が後ろではためいている前で、明日に向かって力強く歩き出そうというラストはなんかやだ。

『ザ・ロード』という映画を見て

ジョン・ヒルコートという名前には覚えが全く無かったが、それもそのはず、これまではミュージックビデオを多く手がけており、映画の監督はこれが4作目。前の3作はインデペンデント系のようで、題名を見ても『亡霊の檻』とか『プロポジション-血の誓約-』とか、しょーもなさそうなのが続く。

そんな彼に、ピューリッツァー賞受賞作品の原作を任せるんだから、大抜擢と言えるのだろう。それまでの彼の仕事に、プロデューサーの目に留まるものがあったのだろうが。 それにしても、欧米人って終末思想が好きだね。これも、人間を極限の状態に置いて、そこから人間性の本質を探るスタイルを取っている。

映像からわかるのは、おそらく戦争とかではなく天変地異によって世界が崩壊したのだろうということ。

親子の物語のバックには、悲惨な映像が最後まで続く。多くの人間が人喰い人種と化した中でも、父親は“善き者”を信じ探して息子と旅を続ける。

様々な苦難にも耐えるが、その行動規範は自分たちが生き残ること。

その精神だけでも恐ろしく強いものだが、まだ純真な心を忘れない息子には、ときどき父の考えがわからなくなる。

人喰い族から逃れるのはいいが、途中で行き会った老人を信用しなかったり、荷物を盗んだ人間を死ぬとわかっていながら裸のまま放り出したり。

極限状態に置かれると、モラルというのは崩壊しがちなのはよくわかる。

そこで人間の本質が問われる訳で、そういう意味では考えさせられる部分は多くある。

ときどき、母(シャーリーズ・セロン)がいた頃の映像がインサートされる。

何も無く幸せだった頃、天変地異の起こり始めた頃、未来が見通せなくなった頃。天変地異の起こった頃に息子は生まれたのだが、彼女は「この子が生まれてから私の心が死んでしまったの」と言って、逃げようと言う父の説得を振り切って、一人家を出て行くことによって死を選ぶ。

母親役に違和感の無くなった彼女だが、それでも美しさだけは残っている。演技も上手いしね。と思っていたら、オスカーを獲ってたんだよね、この人。

父にとっては息子が希望、息子にとっては父親が希望。その希望の父親が死んだことで光は断ち切られたかに見えたが、ガイ・ピアース家族という“善き者”に出会えたことで、新たな光が射し込むラスト。このあたりは、救いを見出せないと、ただただ暗いだけの映画になっちまうから、このラストは良かったんじゃない?

息子をやったこの子役は、演技も自然でいいね。ただシャーリーズ・セロンに似ていて、もしかしたら本物の親子じゃないかとも思った。

でも、もう14歳なんだね。そう思って見ると、ちょっと幼いような感じがする。

『名前のない女たち』という映画を見て

AV女優でも、“企画モノ”に出演するその他大勢的な扱いをされる女優の物語。

『ガールフレンド・エクスペリエンス』のように、本物のAV女優が演じているのかと思ったら、ちゃんとオーディションして選んだんだってね。

このテの題材って、本物のAV女優にやらせれば演技が下手糞で内面が伝わってこないし、演技ができる女優だとリアル感が無いし。難しいね。

結論から言うと、何を言いたかったのかがわからない。

キャッチコピーは「生きてるふり、やめた。普通の女の子たちの赤裸々な物語」とあり、劇中でも「桜沢ルルも、小倉淳子もどっちもあたしなの」というセリフがあったが、何もAV業界でなくてもいいように思うが。

しきりにどぶ川の、それも下から見上げるショットが出てくるが、これもテーマのうちの一つなのかもしれない。底辺に生きる人間ということか?

映画の最後には、ルルもその水も無いどぶ川のボートから抜け出すが。

草野イニという芸名には笑ってしまったな。

誰かと思って調べてみたが、桜沢ルルのファンの役をやったデブヲタだった。

そいつが撮影現場で殺人事件を起こすんだが、その間誰も止めようとか逃げようとか、ましてや警察に通報しようとしなかった。なぜ?

AVスカウト&(綾乃の)ヒモの役で新井浩文。キャラに合ってはいるのかもしれないけど、いつまでもその路線でいいのか?

その新井浩文が、チンピラの女に手を出したということによって、絡まれる場面。金属バットで2回も殴られたのに、すぐ立ち上がって反撃。また石で頭を殴られても反撃。あり得ないでしょう。しかも、綾乃の方も、(妊娠している腹を含めて)かなりやられたのに、流産しなかった。

その他、色々と突っ込みどころはある。というか、つまんないからそっちの方ばかりに目が行ってしまう。

ルルが綾乃の部屋を訪ねたとき、インターホンのモニターがズームインしたり。

その後二人が飲んでるうちにビールのかけあいとなり(ここまではわかるが)、なぜわざわざパンツまで脱いで素っ裸になるのか?(サービスショット?)

とある飲み屋で、ホステスの出した名刺に書いてあったメルアドが、“@bocomo.ne.jp”。

そして最後は、ボートから抜け出したルルが海を見つめて終わり。

何か思わせぶりな印象を残したかったのだろうが、カッコつけにしか思えない。

ラストにかかるテーマソング「バージンブルース」を歌っているのが戸川純。

まだいたんだ~!? 自殺したんじゃなかったっけ? あ、自殺したのは妹の方で、本人は未遂で済んだんだっけか。

AVプロダクションの社長で出ていたのが鳥肌実。観ている間は気づかなくて、エンドクレジットでわかった。頭髪も怪しくなってきているし、えらい年とったなあと思った。

一つ一つ確実に!

今月は、在宅のお仕事があまり上手くいっていません。

先月のようにまとまった仕事がもらえると嬉しいのですが、毎回そう上手くはいきませんね。

それでも私は、絶対に達成したい目標があるので日々努力中です。

やっぱりどんなこともそうだと思うのですが、やってみないと分かりません。

一つ一つ確実にこなしていくことが大切だと思います。

やってみて初めて、これはこうした方がいいとかこの仕事をやるにはこうしたらいいというのが出てくるのだと思います。

なので、まずは今の私に出来ることは何か?

これを考えながら頑張ります!

主人との約束も大切にしたいですし、これからの生活を充実させるためにも頑張りたいです。

育児をしながら家事・仕事に忙しい毎日ですがそれでもとっても充実しています。

今、ここで自分のスキルを身に着けてこれから何か役立てることができたらいいなと思っています。

目標があるのとないのでは全くやる気が違いますよね。

少しずつではありますが、頑張りたいと思います。

『ゲキxシネ 蛮幽鬼』を見て

『ゲキxシネ 蛮幽鬼』はアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を翻案した舞台劇。

昔読んだ、というか読まされたなあ、お袋に。岩波文庫のやつ。最初のうちは苦痛だったけど、復讐劇が始まると面白くなってきてね。でも読書は嫌いな頃だったから、読むのに何ヶ月かかかったはずだ。この舞台を観ると、「モンテ・クリスト伯」というよりも「巌窟王」といった方が当てはまりそうだな。

それにしても舞台装置に、金がかかってるわ~。舞台が回転するのは当然で、油圧を使って上から床下まで移動させることまで。これじゃあそれなりの設備が整った劇場じゃないと無理だろうし、地方巡業なんてこともなかなか難しいだろう。だから、大劇場でないとペイできない気がする。

3時間の舞台ということで、やってる俳優たちも大変だろうが、観る方としてもどうかなとは思っていたが、途中に休憩があったせいもあるだろうが、進行自体も面白く飽きることは無かった。

堺雅人のにやけ顔もどうかと思っていたが、それを逆手に取ったような演出でにやけ顔が逆に活きていた。上手い演出だ。

それと早乙女太一の殺陣は、さすが大衆演劇出身。ただ大衆演劇では、今回のようなそんなに広い舞台も少ないだろうが。

「今は誰が舵取りをするかにばかり熱心で、誰も行き先を決めない」というセリフがあったが、今の政治家(政治屋か)連中に聞かせてやりたいものだ。

それにしても、出てくる連中の殆どが死んでいく。主要キャストで生き残ったのは2人だけ。殺し過ぎちゃうん?

飛頭蛮も最後に死ぬのだが、総ての罪を自らが被って死んでいく様は、まるで「樅の木は残った」の原田甲斐。平幹二郎の名演が思い出される。

挿入歌の作詞に森雪之丞の名前があったが、彼はもう過去の人かと思っていたんだが、まだ56歳なんだね。アイドルの歌を結構手がけているイメージがあったし、最近歌自体も聴かなくなっているから、もう死んだもんだとばかり思っていた。